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どうも。
前回は論題解釈のスタンダードについてお話しすると述べたので日記を途中まで書きましたが、それ以前に話すことがあると思い今回は証明責任ついて考察したいと思います。 ネットのパーシャルPMAの話もそうだし、トピカリティーの証明責任もそうですが、多くのジャッジがなんとなくや慣習に流されているのではないかと思い今回の日記を書きました。 第一回ということでトピカリティの証明責任について書きます。 今回の考察は今はやっているshould=unlikelyをとっていいかという議論やリーズナビリティにおいて前提となる議論なので皆さんも考えてみてください。 トピカリティの証明責任が肯定側にあるか否定側にあるかという議論がよくあります。 しかしこれは肯定側にしかありえないのです。なぜならトピカルでない議論は一般的にボーターになりえないからです(今回は後に述べるクリティックのような論題外のボーターが出てないものと仮定します)。 ただし証明責任の程度には差異があるでしょう。 私たちジャッジはある程度の英語力を備えており、常識的に解釈が合理的と判断されれば反対側(主に否定側のトピカリティ)の議論を切ります(これを否定側のトピカリティの証明責任とでも呼んでいるのでしょう) 逆にタブラーなジャッジは否定側の反論を素直に受け入れ、試合中の肯定側の証明だけでは合理性の証明に不十分であれば解釈を非合理的と判断するでしょう(このとき肯定側の証明責任が重いと呼んでいるみたいですね) しかし両者に一つ共通することがあることに注意していただきたい。 それはジャッジが、肯定側の解釈の合理性が試合中の議論および一般的解釈(そしてジャッジの良識)に基づいて確からしいと判断できるという点です。 この点が私のいう肯定側の証明責任です。 何がいいたいかというと「よくわからないけどトピカルかもしれない議論」では肯定側の勝ちには繋がらないということです。 なぜなら合理的解釈を肯定できていれば肯定の勝ちと判断できますが、もしそもそも解釈が非合理的なら肯定は勝てません。 なんでこんなことをいうかというと、これも「ディベートについて②」で述べたように可能的真と解釈の合理性という二つのレベルの違う話をジャッジやディベーターがごっちゃに考えていると思うからです。 ある一つの合理的解釈に基づいて論題を肯定すれば論題を肯定されるというのが可能的真。 そういう意味では「論題のリスクを肯定すれば論題が肯定される」といえてしまうかもしれません。 しかし「解釈が合理的である"リスク(可能性)"」で論題が肯定されるというのはまた違った議論です。 そして合理性の"リスク"で十分というロジックはどこにもあるとは思えません。 実がこれがshould=unlikelyという議論やaffirm=prove something is correctが関西より関東において意外とスムーズに受け入れられて立ってしまう原因になっているのではないかと私は考えています。 どこまで示せば可能性ではなくて合理的とジャッジが判断するかわからないという反論が考えられるでしょう。 しかし一つ目に、ネットの議論においてもどこまで示せばジャッジがわかるかというラインがあるのでこれはそもそもトピカリティだけの議論ではありません。 ジャッジが一般的良識を判断することに関しては、ジャッジのラインがわからないからどうにかしろという議論はそもそも立ちそうにありません。 そして二つ目に、この反論が許されるのはタブラーのジャッジ、またはタブラーをよしとするディベーターですが、もし仮に上記のような議論の提示時にいったん議論を認めたとしても否定側の簡単な反論、たとえば「本当にcorrectにgrammatical correctという概念が含まれているかわからない」というような反論もスムーズに受け入れるべきです。 タブラーというのは議論提示の障壁が低いということですが、それは反面として反論の障壁もひくいということにしなければ一貫性が保てません。 そしてこの二つの議論がぶつかったときには結局ジャッジがどっちがより説得的か判断せざるを得ません。 そのときにあなたが本当に合理的であるという確証のない議論を評価できるでしょうか? ネットにおいてクリティックといわれているジャッジはもちろん解釈においても一貫性を保つべきだと思ます。 それなら肯定側が上記のように解釈したときに自分の良識と照らし合わせて解釈の合理性を判断しなければいけません。 そのときにあなたが本当に合理的であるという確証のない議論を評価できるでしょうか? 第二回の内容とかぶっていることもあるため今回は問題提起ばかりで詳しい解説は載せていませんが大体私の言いたいことは理解していただけたでしょうか。 最後に四方山話として今回の関東と関西のトピカリティの評価の違いがわかる論題の話をして今回の日記をしめさせていただきます。 時はさかのぼり2008年度前期。 論題はカジノ合法化「The Japanese government should authorize the system of casino gambling.」 関西ではsystem of casino gamnblingってどんなもんかよくわからないから二つ目のtheが使われるのは非合理的というトピカリティが猛威を振るっていました。 一方関東でのTでのよくある返し・・・ 「the can be used before "of", hence our interpretation is reasonable」 このミートが大活躍でしたとさ。めでたしめでたし。 ・・・ おしまい。 PR |
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